最近は自問自答を繰り返しています。
答えのない問いに、どう答えるのか。
自問自答の経緯
ようやく母親が退院することになりました。
約1年近い入院生活を経て、自宅に帰ってきました。
長期間の入院生活による弊害があり、足腰が弱っています。
結果は要介護2、自力で生活するのは困難な状況です。
今は姉が手助けしていますが、姉も仕事をしています。
これを機に退職しようとしたそうですが、世の中そう甘くはない。
強く慰留されたこともあり、半日の仕事に変更したようです。
病院関係者なので人手不足みたいです。
この状況で何ができるのか、自問自答することになった。
自問自答は大切、しかし立ち止まるな
自問自答とは
”自分で問いを出して自分で答えること。みずから問題を提起し解決すること。”
現在の問題に対して、どのように解決するか考えて行動することだ。
誰でも行っていることだが、大きな問題にぶつかった時に立ち止まることになる。
手持ちの材料で答えが出せればいいが、問題に直面した時は材料が不足している場合が多い。
家に籠って悶々と考え続けることになるが、答えは遠ざかる気がする。
経験や知識が不足しているのであれば、動きながら考える方法しかないのでしょう。
幸いなことに姉が医療従事者であるため、今は姉の判断に任せることができる。
この環境では、フォローに回る法がよいのでしょう。
だが、甘えて何でも任せるのは違う。
できることを考え続け、できる範囲でできる事を実行するしかない。
答えより問いが大切
学校教育は問いより、答えの導き方を重視している。
(*昭和時代の教育を受けていましたので、令和の今の状況は知りません)
優秀な工場労働者になるようにカリキュラムが組まれていたので当然かもしれません。
集団生活になじむように訓練され、均一なスペックになり出荷されている。
まるで農作物のような扱いだが、ではどうすればよいかと問われたら難しい。
現状では最適なやり方と言えるのでしょう。
そんな環境で育った私だが、痛感しているのは問いの重要性だ。
答えの導き方も大切だが、前提となる問いが間違っていたら、答えが合っていても意味がない。
今の問いは”どうすれば母親が快適に生活出来るか?”。
- 家を生活しやすいようにリフォームする?
- ケアは週3~4回に設定しているが、この回数で大丈夫か?
- 姉が補助して生活しているが、人手は足りているか?
- 金銭面で不足はないか?
- 私も実家に戻ってフォローしたほうがいいのではないか?
現在は試行錯誤して生活している、もちろん正解はない。
手助けできればいいが、3~4月は仕事が入っている。
仕事の日程は姉に共有しており、いつでも手伝うと伝えている。
だが、母親も姉も自分でできることは自分でやる人たちなので、手助けを求める発言が出てこない。
母親に関しても何でも補助することが本人にもためになるか不明なので、できることとできないことの切り分けが重要だ。
せめて金銭面だけでも補助できないかとこっそりお金を渡そうとしたが受け取ってもえない。
無力な私だが、気持ちを押し付けるわけにはいかない。
5月以降はできることをやっていく予定だが、手探り状態で進めるしかないでしょう。
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