朝の散歩は、私が私に語りかけてくる

日常

朝の散歩は雑多な思考が頭をかけめぐる。
一日の始まりに必要な情報を洗い出すには最適。

散歩中は自分の頭の声が聞こえる。

散歩中は音楽を聴かずに、ただ歩く。
呼吸や体の動きに意識を合わせ瞑想状態で歩くことも可能ですが、
あえて思考を流す状態にしている。

朝の散歩を行うと、頭の中でさまざまな考えがわいてきます。
自分で自分に語りかけてくるイメージですが、普段の生活ではあまり聞こえない。

時間を手に入れたことで、自分が何を考えているか自覚するようになってきた。

どんな事を考えているのか

日頃から気になる言葉や項目については頭の中に入れている。
メモ帳に書いたり、記憶したりすると、頭が自動で考えてくれる。

朝の散歩で私の頭が私にささやく。(例)

  • あの件について処理にしないと
  • この前の対応は、丁寧さに欠けていたので良くなかった
  • 仕事の不明点について調査する必要がある
  • 友人といつ遊ぼうかな
  • 資産バランスを見直そう
  • 肩の状態をもう少し良くしたい
  • 週末はガス屋の対応、週明けは車のディーラーへ行かないと
  • 洗剤がなくなったので買いに行こう
  • サウナに行きたい、サウナに行きたい、GO TO サウナ
  • 来週は献血に行って、博多の街を散策
  • 笑顔と感謝を忘れなければ、人生はうまくいくだろう

一日に始まりに頭の中の考えを吐き出すと、いい一日が過ごせる。
帰宅後は紙に整理し、やる事を決めると決定にしたがって行動する。

眠っている記憶を思い出したい

かつて読んだ本で印象に残っている現象がある。

タイのコサムイ島に1週間滞在した筆者が海を眺めて過ごすが、死ぬほど退屈になってしまう。
島を離れようと考えた時に1ケ月滞在している日本人旅行者にこんな事を言われる。
「何もしないで、落ち着いてじっとしててみろ。
退屈もしないし、ヒマで死にそうにもならねえよ。
ここはそういうとこなんだ。
1週間ぐらいじゃわかりゃしねえよ。」

考え直した筆者は出発を延期、島に滞在して10日間経過した頃に退屈に慣れてしまう。
そして海を眺めていると次々にいろいろなことを思いだしていた。
東京でも生活のこと、幼かった頃の記憶、昔別れた友人のセリフ、何年も前に読んだ本の内容、
映画のスクリーン、新聞の記事、いったい今までどこに仕舞い込んであったのか不思議なほど、
様々なことが僕の頭によみがえってきた。

<蔵前仁一著 ゴーゴー・アジア 南の島で昼寝をすれば>

古い本で初版は1988年のバブル時。
蔵前さんの本は数冊読んだことがあり、この本だけは今も持っている。
古いアジアの話でコサムイ島も大きく変わっているでしょうが、この本を読んでコサムイ島に行ってみたいと思った。

社会に出て、社会人としてあるべき姿を演じて過ごしてきたが、思い出せなくなっている記憶が多くある。
長く演じていると本当の姿がわからなくなり、演じている自分が今の自分になってしまった。

携帯やネットがある今の時代に10日間~1ケ月も退屈することは、普通の人では経験出来ない困難な事。
でも、何もない状態で過ごさないとわからないことはあるのでしょう。

試しに2日間ネットの接続やTV等のメディアの情報を断ってホテルで過ごすことを計画しよう。
10日間~1ケ月 ネットがない状態で過ごさないのかって? 一生出来ないと思う。

1988年はネット環境は普及していなかった。
ネットはインフラになった現代、時代の変化は速いですね。

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