桜の咲く頃に考える。
桜を見るとよく考えていたことがあります。
「来年の今頃はいったい何をしているのだろうかと」
このまま働き続けても後悔しないのだろうかと毎年思っていました。
そして、来年こそは無職になりたいという思いを強くします。
そのことを10年ぐらいは繰り返していました。
今の現状が辛くて、現実逃避をしていたのは事実です。
来年はきっとよくなるという思いを込めて、未来の自分に期待していました。
桜を見るとあと何回見れるのだろうか。
あと何回桜を見れるかと考えることもあります。
今は50代です。よくて30回ぐらいでしょうか。
そう必ず終わりはやってくる。
しかし、地元の桜もゆっくりと見れない現状にいら立っていました。
私は出張も多くて、地元に帰ってきたころには
桜は全て散っていることも多かった。
そのかわり、他の地方の桜を見ることもできました。
一緒に仕事をしていた人達と、熊本城の公園で桜を見ながら宴会をしたことがあります。
仕事が終わった後に、夜の公園で桜を見ながらお酒を飲み、騒いでいました。
よい思い出もいくつかあります。
さて来年の今頃は。
来年の今頃はいったい何をしているのでしょうか。
昨年はコロナ騒ぎが始まり、退職を考えていました。
今年は退職して初めての春ですが、なぜか今は働いています。
来年の予定は自分ではよくわかりません。
フリーランスですので、仕事があれば働きますが、
無い場合は九州各所の桜を見て回ろうと考えています。
登りたい山に登山もする予定です。
鹿児島の開聞岳、宮崎の高千穂峰、熊本の阿蘇山を予定しています。
時間があれば屋久島の宮之浦岳にも登りたい。
登山がメインになるかもしれませんが、楽しみは多いほうがよい。
来年こそいい年にしたいと桜を見て考えました。
退職したのに、なにかあまり変わっていないのはなぜなのか?
コメント
> あと何回桜を見れるかと考えることもあります。
アラフィフになると、そのような何とも言えない感情が芽生えますよね。
僕は帰省時に、あと何回親と会えるのだろうか、と悲しい気持ちになります。
まぁ誰しもが通る道(抱く感情)かもしれません。
> 退職したのに、なにかあまり変わっていないのはなぜなのか?
私も誰に縛られているわけでもないのに、規則正しい生活になっており以前と
あまり変わっていませんが、それはそれでいいのかな、と思っています。
私の場合、何かをするには定量的な目標がないと動き出せないかも…。
(これはサラリーマン生活の呪縛かと)
本当に親にあと何日分会えるか数えると悲しくなりますね。
会える機会は逃さずに会うように決めています。